出雲口伝のお話を少しずつ綴っていきます。
出来れば 古事記の内容がわかる方が
より伝わる内容だと思います。
出雲族はいったい何処から来たのだろう。
出雲族はいわゆる古事記でいうと国津神ですね。
出雲族は、もともとインドにいたトラビタ族の中のクナ国からやってきた。
クナ国は、農耕民族で母型家族製であった。
母型家族って女性が主人のような家族製です。
クナ国の王 クナ王はバイカル湖周辺に住むブリヤード人に
大陸の遥か東の島に 温暖で住民が少ない豊かな島があると聞いていた。
クナ王は、民族の発展のために、若い民を中心に男女に説いた。
結果、数千人の応募があり、家畜や食糧を積み、まず北の山岳を越え
砂の平原(ゴビ砂漠)を抜け、バイカル湖につき
そのままアムール川を筏を使って下り
樺太周辺まで辿りついた。
樺太は北海道の稚内の上にある島です。
そこから、海岸沿いに南に進み
北海道を通って 最後に津軽半島にたどり着いた。
なぜシナ(中国)や朝鮮半島を通って上陸しなかったのか?
それは、道中武器を持った攻撃的な民族がいて
襲撃を受けると奴隷になるということを知っていたため
わざわざ、過酷な道のりを選び、住民の少ない経路を辿った。
クナ族が日本に上陸したころ、日本は縄文時代でした。
その頃、北海道や東北では、アイヌ人やブリヤード人が暮らしていた。
しばらく東北にいたクナ族は
東北に残っていたアイヌ人と混血していった。
青森にある、三内丸山遺跡は
今から5500年から4000年前と推定される。
クナ族が東北に入ったのは
およそ4000年前なのでこの集落の晩期の頃になる。
三内丸山遺跡の六本柱の神殿は
後にクナ族が出雲に入って時を経て
その高層のイメージが持って
作ったのが 大きな出雲大社(杵築明神の神殿)かもしれない。
※時期は970年以前で 1248年までに6回転倒した記録がある。
東北で暮らしていたクナ族は
寒冷化の影響を受けてやがて、東北から日本海側を南へと
移動していった。
そして、最終的に出雲へとたどり着いた。
ここを拠点と考えたのは
非常に純度の高い砂鉄(真砂砂鉄)が取れる川(斐伊川)があったから
また出雲は良港であり、中海もあり交易にも便利である。
銅、鉄、玉類がよく採れた。
イズモの王は、松江市大庭町の現在の神魂神社あたりに王宮をつくった。
そして交流が盛んになり、出雲王国ができた。
出雲王国ができたのは、紀元前660年
これは、神武天皇の大和政権ができたのと、同じ年代である。
しかしこれは、大和政権の都合で年代をずらして出雲よりも大和が先だという
ことを都合上、日本書紀などで改ざんされたものなのです。
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